みやもり産わさびの歴史
遠野市宮守町(みやもりちょう)は以前は”宮守村”という人口5千人にもみたない村でしたが、平成17年10月1日隣接する遠野市と合併しました。
宮守のわさびは宮守町の達曽部(たっそべ)という地域で栽培されています。主に猿ヶ石川の支流である達曽部川の最上流部にある湧水地区、白石地区で栽培されており、現在15軒ほどのわさび農家が生産に取り組んでいます。
−古くは大正4年ごろから達曽部の湧水地区に地沢式のわさび田1アールほど造成し、自家消費用として栽培されたのが、最初と言われています。しかしその後直ちに普及拡大が図られたわけではなく、昭和40年代までは、栽培技術、販売対策、災害対策等、多くの難題が山積みし、苦難の時代であった。昭和50年代に入ってからは、長年にわたり培われた技術と創意工夫を凝らし、積極的に事業導入を図り、生産基盤の拡大と生産出荷量の増大、品質の向上に取り組んできた。−
(宮守村資料”豊富な湧き水を活用したわさび栽培”より抜粋)